軍国主義化の行く末はかつての日本


 今日5.3は憲法記念日。日本の憲法は、生まれながらに平等で、自由であるという基本的人権と、戦力の不保持・国際平和の希求に代表される平和主義を持つ、世界に誇れる憲法である。歴史を振り返ると自由・権利・憲法は、血や涙の結晶であることが多い。日本国憲法の平和主義も、多くの犠牲の上にある。

 先の大戦では、情報を統制し、国民を騙し、天皇を神格化して、「日本は神の国」といった理解不能な大義名分の元に、無謀な戦争をしかけ、国内外に多くの犠牲者を出した。

 その後、平和を旨とする憲法の元に、日本は類まれなペースで経済的に成長し、世界を代表する国になった。しかし、近年では中国や韓国などの新興国の台頭により、日本の優位性や国際社会での発言力は失われつつある。国際連合ではかなりの額を出資しているのに、日本の発言はあまり重んじられない。しまいには、会談の時間が短いなど、アメリカのオバマ大統領に、軽くあしらわれるしまつである。

 今、安倍政権は、「積極的平和主義」などというわかりにくい言葉でカモフラージュして、国民を欺き、軍国主義化を進め、憲法の平和主義を形骸化しようとしている。「強い日本」になることで、再び世界に認められたいのであろう。しかし、よく考えてみれば、一時期日本が国際社会に認められ、たたえられもしたのは、軍事力によってではない。敗戦後の荒廃状態から、立ち上がったこと、軍国主義から脱却し、人権を重んじるようになったことが世界に認められたのである。

 自民党のポスターに、安倍さんの写真とともに、「日本を取り戻す」という謳い文句があるが、その頭には「古い」がつくのではないか心配である。国際社会での立場の低下に焦るあまり、国際社会の期待に反する方向へ進もうとする。このままでは、どの国からも相手にされない日本が待っている。当然、物資が不足するだろう。すると、なかば「やけ」になり、武力で物質を調達しようとする、戦前の構図が再びできあがる。

 特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の容認、国防軍への名称変更。政権の意図は明確である。秘密保護法は、国民の知らない間に、意図する方向へ進めるため。集団的自衛権は、同盟を維持するためといいつつも、本質は国際法で国家に与えられた戦争権を行使できるようにするため、規制事実をつくることにほかならない。そして、国防軍の次には、日本軍になってもおかしくない。

 軍国主義化の責任は国民にもある。ここのところ、選挙の投票率が低下が嘆かれている。その理由として、政治に関心を持つ国民が減っていることがあろう。かつてのドイツにおいて、国民の無関心はヒトラーという独裁者を生み、大量虐殺といった猟奇的な過ちをやってのけた。ここで、若者たちに聞きたい、軍国主義が台頭して、前線に赴くことになるのはいったい誰だろうか。お父さん・お母さん、愛する子どもが、誰かの大切な人を殺し、そして殺されることは、喜ばしいことなのでしょうか? おじいさん・おばあさん、あなた方が経験した辛い思いを、再び、孫たちに味わせることが、あなた方の望みなのでしょうか。国民はもっと賢くなり、平和を守るため団結して、声を上げなくてはならない。恣意的な政権によって、言論の自由すら骨抜きになる前に。特に、年配の方にお願いしたい。戦争のつらさをよく知り、平和の重みを痛感している、あなた方が、その思いを伝え、世論をリードして欲しい。

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